あがり症になった女が社会で奮闘する話。序章。
「私はあがり症だ。」
そんなカミングアウトを私は正々堂々としたことがない。
強いて言うなら心療内科の先生くらいだ。
なぜこんな事を冒頭に書くのか。
それは、もう隠すことがつらくなったから。
高校一年生の時に私はあがり症が発症した。
「それ」が起こったのは突然だった。
別に詩的に語るつもりもない。
でも本当に突然起こったのだ。
高校生の時の現代文の音読の時間が毎回恐怖だった。
今日の日付で適当に生徒を指名する先生、端の席から順番に読めと指名する先生、
ランダムに指名する先生。
毎回その指名が怖くて、恐怖で脅かされる毎日だったことは鮮明に覚えている。
小学校の頃は音読が楽しくて仕方なかったのに。人生は何が起こるのかわからないのだ。
それが高校生の時、人前で教科書をもって音読する、たったこれだけのことが出来なかった。
「たった」なんて言葉を使っているけれど、その当時は死活問題だったし
今も別に得意なわけではない。
あがり症が発症したときは先生が端に座っている人から教科書を読むと指名されたパターンだった。
何も問題なく教科書を読むクラスメイト。1列、2列、と順番にみんな読み終わっていく。
そして、私の手前の人が読み始めた時だった。
心臓がバクバクなり、鼓動が早くなり、めまいがした。
教科書を持つ手も震え、ついに私の前の人が教科書を読み終えた。
嫌いだった。
あの前の人が読み終えた後に一瞬だけ訪れる沈黙が大嫌いだった。
クラスメイトの「早く読めよ」そんな声が聞こえる気がした。
そんな声は気のせいだと自分に言い聞かせ、黙って椅子から立ち、深呼吸をして教科書を読み始めた。
最初は順調だった。
深呼吸をした直後の肺にたっぷりの酸素を使って教科書に書かれている字を読む。
問題は肺にある酸素が切れ始めた時だった。
自分でもよくわからないのだが、簡単にいうと水泳で言う息継ぎができない人のような感じだ。文章を読んでいる時にうまく息継ぎができなかった。
どこで息を吐いて、どこで息を吸うのか。句読点があるところで区切る事すら出来なかった。
肺の中にある酸素がなくなる直前、私の声ががくがくと震え始めた。
目の前がくらくらした。自分の心臓の音で、何も聞こえなくなった。
周りのクラスメイトがひそひそとし始める。
(恥ずかしい)
何とか声が震えないように必死に持ち直そうとすればするほど声が震える。
もうだめだ、もうだめだ、
そのあとはよく覚えていない。
当時の友達から聞いた話によれば教科書を机に放り投げて、私は後方のドアから出て行ったと聞いた。優しい友達から、みんな心配してたよと、言ってくれたのだけは覚えてる。
今この記事を書きながら久々に心の奥底に眠っていた記憶を掘り返している
ためかなり読みづらいかもしれないが、以上が私があがり症になった経緯だ。
ここまで丁寧に書いてきたが、そろそろ本題に入ろう。
あがり症とかクソくらえ。
うっわこいつめっちゃ口悪いなって思ったそこの方。
いいんです。その通りです。口悪いですすいません。
このブログではこんな経緯であがり症になった私23歳女の赤裸々な日常生活について書いていきたいと思う。
あがり症という人生最大の(現時点で)私にとっての脅威、また自分の自我形成において大きな影響を及ぼしているこの病気とちゃんと向き合うために。私は今後ブログを書いていく事に決めた。
冒頭に戻るが私にはこの病気をカミングアウトできる人が私生活にいない。
恋人にも友人にも言えていない状況だ。
唯一親には話をしたことがあるがすでにこの病気は完治したと思われている。(今度記事にします。)
もしこの記事を読んでいる人の中にあがり症なんだけど誰にも言えない、とか
辛い、とか死にたい、とか言ってる人がいたら今後もこのブログの記事を読んでほしい。
だって、一人って心細いじゃん?
なんならこんなやつも世の中にいるなら私/俺ならまだ頑張れるって踏み台にしてもらってもいい。
自分の記事で誰かの気持ちを変えられるなら、それはそれで私は幸せです。
ライターではないし、文章能力もそんなに高くないけれど見てくれる人が一人でもいてくれたらすごくうれしいです。
よろしくお願いします。